2015年1月21日水曜日

ヤン・ファン・エイク 『ロランの聖母子』


 ヤン・ファン・エイクの作品、『ロランの聖母子』は色鮮やかでとても美しく、手前には大きく人物像が、背景には細かな風景画が描かれている。私がこの絵に惹かれたのは、この人物像と背景の極端なコントラストである。左側に描かれる男性像、ロランは聖母子よりも手前に位置し、座っている聖母と同じ高さに描かれている。そして幼児キリストの右手の位置と、ロランの手の高さの位置も等しく描かれているのだ。これには意図的な何かを含んでいるのではないかと考えた。次に背景である。細密描写の中にも世俗の物語性が見られるように思えた。これらを踏まえて『ロランの聖母子』を読み解いていきたいと思う。

 初期ネーデルラント絵画の偉大な創始者とされているヤン・ファン・エイクの生涯と作品は今も多くの謎につつまれていて、それについて知られていることは多くはなく、大半が推測にゆだねられている。

 ヤン・ファン・エイクは1390年代に現在の東部オランダとベルギー両国にまたがるマース川流の域ランブール地方の「エイク」すなわちマーセイクに生まれたと考えられている。これを証拠づける確かな史料は存在してはいないが、生地がマーセイクであろうと考えられる根拠は、ある予備デッサンに書き込まれた色彩に関する文章が、マース川流域地方の方言で書かれていたことによる。ヤンには他に二人の兄弟がいて、フーベルとランベルトもまた画家であったとされている。しかし彼らがどのようにして、また誰から画家としての教育を受けたのかはっきりとは分かっていない。ただ、ヤンがギリシア語、ヘブライ語、ラテン語の文字を使用しているところから見ると、若いころからこれらの教養を身につけるに十分な何らかの修行過程を経たものと考えられる。
  
 ヤン・ファン・エイクによって1435年に頃に制作されたと考えられる『ロランの聖母子』は、それまでの寄進者の表現の伝統を破り、聖母と同じ大きさの寄進者を、仲介聖人を介さずに単一の空間内に描き込むという特性をもっている。そして『ロランの聖母子』は縦66cm、横62cmのほぼ正方形の板絵である。ヤンの属する初期フランドル派の制作した祭壇画は、三連以上の多翼型式、かつ縦1mを超える大きさであることが多く、翼を開いた状態は横長でため、この『ロランの聖母子』が大きさ、型式においても特異性があると認められる。

 一般に、作品の型式や図像等に何らかの特異性が認められる場合、作者あるいは注文主、あるいは両者の事情を考察すべきであるが、『ロランの聖母子』が当時有した機能を解明するためには、注文主の立場からの分析が有効と思われる。図像上最も注目すべき表現が、祈祷台に跪く注文主ニコラ・ロランその人の描写であるからだ。注文主ニコラ・ロランは1422年にフィリップ・ル・ボンにより、司法と行政のトップを兼ねたブルゴーニュ公国の最高位の職であるシャンスリエに任命された。ロランは、晩年まで公国の権力を掌握していたばかりでなく、生涯に渡って土地の領主権の獲得にも努め、まれにみる土地所有者として知られていた。そのような大きな権力を持ったロランは、聖人仲介もなく聖母子と相対し、さらに画面を二分する大きさで描かれている。『ロランの聖母子』における聖俗二項対立のような対照的表現は、ヤンの作品ではほかに『聖痕を受ける聖フランチェスコ』や『アルノルフィーニ夫妻の肖像』で用いられている。

 しかし、これらの作品では二修道僧の腰紐の近接や夫妻の手をつなぐ姿勢などで対立する二項が物理的に結びついた形で表されているのに対し、『ロランの聖母子』では寄進者と聖母をつなぐ役割は見る者の視線の中心にある橋に委ねられている。伝統的に、宗教主題の絵画に注文主が描かれる際には、聖なる人物との差異が強調されるものであった。その伝統は、空間を共有する等の表現によって聖なる人物と注文主が親密に表される15世紀にも受け継がれた。ヤンもまた他の絵画においては、異なるパネルに描いたり聖人を伴わせたりして注文主と聖母子を区別しているので、本作品における聖母子とロランの対等な本図での関係は極めて特異と言えるだろう。この大胆すぎる描写は、ロラン自身の強い意向に基づくと考えられるが、それは、他者の目のない私的な空間での享受を目的としたとも、反対に自らの姿を他者に誇示することを目的とした結果とも解釈し得る。その第三者に向けたメッセージも読み取れることができる。聖母子を尊重しつつも対等に描かれたロランの姿に加え、彼の着飾った服装や勢力的に集めたブルゴーニュ地方の土地を連想させる描写には、ロラン自身の権力の示威を認めることができ、さらに、この『ロランの聖母子』が、前景が高く後景を見下ろす構図となっている点にも、自らの姿を大きく、高く見せる公国の第一人者としてのロランの公的な立場が強調されているように思われる。幼児キリストの右手がロランの合わさる手と高さが等しいのも自身の権力が神によって認められたというメッセージ性が読み取れる。『ロランの聖母子』は、自身の救済のための朝課の祈祷における個人的な、およびミサの祭壇画としての私的に機能しつつも、自身のステータスの誇示や、さらには他の政治家や貴族たちへのアピールも含み政治的効果もあったと見られる。『ロランの聖母子』は、こういった公的両面への効果を有している。ゆえに、注文主自身を極めて大胆に描かせた『ロランの聖母子』は、15世紀の支配者層の宗教的、政治的理想が最も強く反映された作品であると言える。

そういった注文主ニコラ・ロランの要望と共に、ヤンは独自の新しいイメージを描き込んでいる。『ロランの聖母子』には当時のネーデルラントの宗教的な傾向としての「物語性」の描写が見られない。室内での礼拝中に聖なる世界を獲得した姿で表されている。ヤンは寄進者を描写的受難文学とその共感者としてではなく、祈祷の儀式に参加する礼拝者として捉えている。そして寄進者像を収める建築モティーフを検討すると、ヤンの関心は、多翼式の祭壇画にみられる「物語性」を伴った説明的な空間処理から、見る者の視点を想定する遠近法に則った空間処理へと向かっていったことがわかる。

 『ロランの聖母子』が描かれた空間を細部に渡って見てみる。ロラン側の岸には、大都市ではなく、田舎の小都市の光景が描かれている。ちょうどロランの親指が修道院の附属聖堂の塔につながる。丘には緑の農園が見える。ブルゴーニュはワインの名だたる生産地。オータンに邸宅を構えていたロランならば当然ぶどう畑を所有していただろう。そうすると、その農園はロラン自慢のぶどう畑であろうか。遠方には雪をかぶった山々が描かれている。十分に成熟した空気遠近法による距離感演出である。聖母の膝の上に乗せられた幼児キリストは左手に世界を象徴する球体を持ち、右手でロランに祝福を与え、指先は橋に連結する。左岸は大聖堂らしい建物の見える大都市の光景である。その周辺には人々が群がっている。丘の麓には市壁が見える。中世ヨーロッパの都市は敵の侵入を阻む為に高い壁に取り囲まれている。左手の庭にはマリアの純潔を示す百合の花などが咲き誇っている。その中庭は旧約聖書「雅歌」に歌われる「閉じられた園」を表し、聖母の処女性を象徴している。もっと奥に目をやると中央に二人の人物像が見つけられる。これは恐らくヨーロッパ絵画史における初めての「風景を眺める人物像」である。右の人物は杖をついて、左の人物を見ている。もう一人は、胸壁から向こう側を眺めている。その眺める先の風景には石橋、数艘の船、小島、それらを映す水面、波紋、これらが魅力的に描写されている。橋の上や船上には人々が小さく描かれていて、その数は3000人程になるらしい。幼児キリストの右手の先から後ろの円柱沿いにずっと上にあげて見てみると街から火の粉が噴いていが、この聖母子画に火事を描く必要性はない。これは全くもってヤン自身の意図で描いた悪戯としか思えない。

 ヤンは注文主から与えられた条件を満たす作品を仕上げる中で、そこにヤンの自身の技法で持って、くすぐる様な新しいイメージを与えている。それによって、単調になってしまう筈の絵を細やかな美しい世界に創り上げてしまう。それが中央に描かれた「風景を眺める人物」のように、我々がヤンの世界観に身を乗り込んで見入ってしまう由縁なのではないかと思う。




 《参考文献》
『ヤン・ファン・エイク:光と空気の絵画』小林典子、大阪大学出版会、2003.2
『ファン・アイク』池田満寿夫(他)、中央公論社、1983.1
『ファン・アイク』黒江光彦、集英社、1979.8



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