2015年1月19日月曜日

剽窃の画家 パブロ・ピカソ


 スペイン芸術の初めての発見であるともいえるアルタミラの洞窟壁画。旧石器時代に既にこれ程までに自分達の生活を動的に描き出す芸術性を備えていたのだと思うとスペインの地に生きる人間の熱い血の高鳴りを感じる。

 大高保二郎教授の講義は主に、『剽窃の画家』と評されるパブロ・ピカソの話しが本流であった。芸術を模索し、多く認知され得る造形美を作り出した同じ手でもって、オセアニア美術を模倣した叫びが木魂するかのような芸術を生み出したピカソ。ピカソの身体は、手は、止まることを知らずに多くの作品を制作し続けた。それは溢れ出す血が止まらずに果てしなく流れ出るかの如くであり、その流れ出たスペインの血は多くの芸術に降り注いだ。

 ピカソはヨーロッパ中心主義的な世界観を打ち砕き、古代や古典的な芸術性に手を加えて広がりを持たせた。一元的であった芸術の視点を崩し、あらゆる角度から芸術を捉える眼があることを発見させ、そして何より造形美の多様性を齎してくれた。それはセルバンテス的物語世界のようにこの世の中に潜む魂の最も深い、最も不思議な一面をえぐり出してくれているかのようだ。

 恋多きピカソであったが、彼の恋人のバレエ団の踊り子であるオルガ・コクローヴァを描いた『肘掛椅子に座るオルガ』では表現主義的な一面を見せている。実際の姿よりもより美しく描かれたオルガの首もとに迫るピカソの横顔の影は、オルガに口付けしようにも躊躇いを見せているようで、ピカソのオルガへの切なくあたたかな恋心が感じられる。この作品を制作した次の年にはオルガとめでたく結婚するのだが、オルガとの仲が悪くなった頃に描いたオルガの肖像画では社交好きのオルガを卑下するかのようなどぎつい化粧をしたオルガが描かれている。ピカソの感情表現はいつも真っ直ぐで婉曲することはない。

 女性器の中に歯が生えているという「ヴァギナ・デンタータ」のモチーフは、アジア大陸やアメリカ大陸で多く見られ、ピカソもこのモチーフを多用し、多くの作品にこの歯の生えた膣のモチーフを登場させている。男性器とは違い内部に潜む女性器に歯を生やす事で闇に潜む神秘的な箇所に興味を持った男性の一番弱い所を鋭い歯で噛み切る凶暴性を持ち合わせ、一方的に受動的である女性に攻撃性を与える。ピカソはそこに搾取される者達と同じ感情を見出し、彼の『ゲルニカ』の作品中にもこのモチーフに似たものを導入している。強い力で押し込まれ虐殺された叫びの中にも最後までその力に抵抗する声を描いたのだと思う。ゴヤの『1808年5月3日』に描かれる十字架にかけられるイエスを象徴する男性のイメージを借りて『ゲルニカ』の右端に大きく描いている。無残に殺される市民も又、イエスの等しさを与えて悲痛さをモノクロの鈍った色の激しい動きに交えて訴えているのだ。

 ピカソはベラスケスの『ラス・メニーナス』の連作を描いたが「見ることは見られること」という言葉をピカソの芸術に対する、生きる事に対する姿勢にも見る事ができると思う。生きている事を多角的に捉えて分析し描き出す。いつでもピカソは「生」の分析者であり研究者であった。ピカソの作品は静物画でも決して留まる事がない。動き出し新しいイメージを与え続ける。それはこの先も変わらぬことなのだろう。大高保二郎教授の講義でピカソの源流を具に教えていただき、スペインの歴史を総括したかのようなピカソの多くの芸術作品は今までの時代、そしてこれからの新たな時代を大きく跨いで永劫的に湧き出るのだと感じた。

0 件のコメント:

コメントを投稿