2013年6月27日木曜日

上田秋成 雨月物語 『青頭巾』


   亡くなってしまった人の骨を食べるという話はよく耳にする。現に、私の親戚で親の遺骨を口にした人がいるというのを聞いた。愛が深いゆえに、亡くなった人への複雑な想いゆえにそうさせるのだろうか。そんなことを思い出し、この「青頭巾」の物語と一緒に考えてみた。

 
骨壺を前にして死者の魂と語り合う。ふらっと手が伸び、骨壺の蓋を持ち上げ、そっと地面に置く。目の前にある無機物な白いそれをヒトカケラ摘んで、おもむ ろに自分の口の中へと運ぶ。数回租借してから、飲み込む。次に二欠片目。そして、人は我に帰る。涙を流しながら、死んだ者は二度と帰ってはこないという現 実を受け止めなければいけないことに気がつく。気がつくというよりも、「思い出す」という方が正しいのかもしれない。その二つの心理的動作の連続の狭間に は、「理性」が介在し、悲しみを纏った人間にある種の残酷的な現実を突きつけるのだ。

 
赤ん坊はそういった「理性」を備えては生まれてこない。自然的、人工的創造物の中で、自分の存在をすべてに知らせるために大声で泣きわめく。けれども、赤 ん坊が大人へと成長する過程で、この世界のあらゆるものを吸収して、社会に適応できる人間になるために、ある日、人間は大声で泣くことを止める。できるか ぎり声を荒げないよう、誰にも聞こえないように、静かに涙を流すか、または泣くことさえしない人もいるだろう。赤ん坊の無垢な感情は、人間がこの社会にお いてあらゆる知識を得ていくうちに、少しずつ剥ぎ取られていってしまう。赤ん坊が赤ん坊でなくなると同時に、その純粋な己への感情の方向は、それを表す、 表への行動を阻み、ねじ曲げて、塞ぎこもうとするのだ。その塞ぎこまれたある種の感情は、少しずつ自分のなかに、雨水が池を作るように、しとしととしたた り落ちて、自分では理解できないような感情を引き出してくる。それはあまりにも大きくなり過ぎた池への恐怖かもしれないし、またはそんなものを抱えこんで しまった己への似非笑い的な感情なのかもしれない。

 
「理性」を持つということは、その所有権の代償として、現実の残酷を知らされることになる。それは一種の恐怖だ。できるならそんな恐怖から逃げたいと人間 なら思うだろう。鬼と化した住職であった者は、そういった恐怖の観念から、童児の死という事実から逃避するために鬼となってしまった。誰かが無くなると、 その突然の事実に人は唖然とし、行き成り訪れた事実を受け止めることはできない。けれども、その亡骸を目にし、自分と数秒の対話をするのだ。「あの人は死 んだのだ」。そうして受け入れられた事実とともに、人間の目に涙が溢れてくる。泣いてしまえば童児の死を認めてしまうことになってしまうから、住職はこの 悲しみの根源から間違えを必死に探そうと、童児が生きていたときと同じように戯れる。そして最後には「現実」を突き放し、狂い、自分というものを捨て去る ことで、その苦しみから逃れようとしたのだ。それはこの住職が己の感情にあまりにも素直だったから。「ひとへに直くたくましき性」は、悲しみから逃れたい という、私たちが誰もが抱く感情から住職を鬼にしてしまったけれど、それは純粋な、赤ん坊のような心を秘めている。一歩間違えれば鬼にも、仏にもなり得る 「直し」という思想は、そういった一見相反する二つの背面性を教えてくれる。

 
悲しみの渦の中で、しかし泣き喚きたくとも泣き喚けない人間がいつの世にも存在する。そしてそういった人間たちは純粋な赤ん坊から、泣けない大人へと変わ り、鬼と化す。では、そんな感情を、一体何が洗い流してくれるのだろうか。『青頭巾』では、快庵禅師がこう住職に問う。


 江月照松風吹 永夜清宵何所為
(入り江には月が照っており、松には風が吹いている。永い秋の夜のこの清らかな宵の姿は、一体何のためであるのか) 


  人間の悲しみは深い。こんな悲しみから逃れられるのなら、鬼にでもなったほうが数百倍も楽だろう。けれども、耳を澄ませてみれば、松と松の間をすり抜ける 風の音が。灯りを消して感じれば、月の光がそっと照らし出していてくれる。そんな清らかな秋の姿に心奪われれば、自分の心に溜まった大きな池も、少しずつ 月の雫となって空へかえっていくかもしれない。そうでなくとも、秋の風が池の水面を優しくなで、通りすぎていってくれるかもしれない。そんな温もりを感じ られたら、人間は鬼になる必要があるだろうか。悲しみを受け止めて、この永い夜に腰を下ろして、ただその美しさに身を預ければ、それだけで人間は救われる と思う。

 
大人は理性の心を持って涙を流すが、赤ん坊は、純粋無垢の心を持って泣き喚く。その二つの面を矛盾に持ち抱えて、人間は自分の心をこの夜の美しさの前で露呈すればいい。泣けばいい。この世には受け止めてくれる何かが必ずある。

 
住職は最後には青頭巾を残して消えてしまったが、彼が抱え込んでいた深い念の塊はきっと癒やされたに違いないと思う。受け止めてくれる場所を見つけることができたのだ。