2015年1月14日水曜日

レオノール・フィニの描く『守護者スフィンクス』


  スフィンクスは両性具有を象徴する生き物であり、それはレオノール・フィニが理想としていた性の中性を描く上での最も適した生き物であった。スフィンクスは、エジプト文化に於いては男性を象徴していたが、ギリシア文化に於いては生と死を司る神話上の半人半獣の女性として登場する。フィニの描くスフィンクスには、このギリシア神話に登場する怪獣がしばしば描かれる。そしてこの神話的動物は、その存在が神話的であるがために持つ、けして縛られることがない肉体を示すことによって長い間伝統的に表現されてきた性別によって分け隔たれてきた数多くの古い習慣を払拭することができるのである。フィニの初期作品には暗黙に固守されていた男女間での関係性や役割的暗号を含む主題を打ち壊す作品を数多く制作している。

 『守護者スフィンクス』のスフィンクスは少し目を窄めて遠くを見つめ、背筋はピンと伸び、豊満な肉体に於いても精神的内面に於いても確固たる自己を見せ付けているようである。そこから湧き上がるような静寂のエロスや、その静かさゆえの獣性を根底に秘めているようでもある。それはフィニ自身であり、彼女が作り出そうとする創作世界のエネルギーの象徴でもあるのだ。古い石の祭壇の罅割れた線から強い生命の息吹を感じさせられる木が生え上がり、その枝には薄暗い曖昧な空間の中での調和を避けるが如く存在する、風にたなびくピンク色をした一枚の布が。ピンクは肌を介して肉体の中を駆け巡る生命的エネルギーの動きを外側から見た色で現している。そこには女性の暖かさやつつむような母性愛が古く固い形からの脱却や変容を通して感じられる。スフィンクスの回りにある殻の割れた卵は再生や復活、創造を意味するものであり、スフィンクスの傍らにあるピラミッド型の置物は、ピラミッドが女性と男性の両性を表すことからスフィンクスと同じ両性具有のシンボルとなっている。また、スフィンクスが手の下に持つ錬金術を記した印刷物は、非金属から金を作り出す錬金術を、創造性を持つものとして書き示したのであろう。

  60年代以降には、女性の性的なリアリティ表現は、フィニをはじめとするシュルレアリスト達がそれを公に解き放つことによって今まで深く根付いた男性社会に対し反発的に攻撃を始めたのである。シュルレアリストは積極的にブルジョア社会の価値観を覆すような表現を、自己の経験に即してリアルに描き出そうとした。これまで秘め事のように隠されていた、女が性欲を所有する存在であることを視覚上はっきりと示すことで既存の社会体系に揺さぶりをかけた。では彼女の作品の狙うべき主題は古代の母権制社会への復活を示唆しているのだろうか。実際、彼女は幼い時に父に狙われ、恐怖に縛られた時間を過ごした。しかし、母権制の反対は父権制でしかなく、その行き着く先が彼女にとっての安らぎの領域ではない。それでは彼女が投げかける暗号とは。彼女が多く描くスフィンクスは中性的神話の生き物であり、男でもなく、女でもなく、しかしそのものが持つ力強いエネルギーは性をどちらにも属させないことによって生まれるものである。フィニは性別を超えて現れるスフィンクスのような甘美たる美しさを人間に求めたのではないだろうか。あまりにもエロティカルな表現は女性から溢れる真実の液体を隠すこの時代の社会にアイロイカルな眼差しを投げ捨てて微笑する。それは新しい言語体系の創造である。そしてまた、時に彼女が描き出す力図強い女性支配的描写は、社会の中や、そして一見純粋であろう所に潜在する長く尾を引く男性優位社会の現実性を知らしめる為なのである。男性を一方的に否定したり、かといって女性を高く優位に立たせたりするような社会を目指すのではなく、それらを超越した世界を彼女が夢のような幻想的世界に存在するものとして描き出しているのではないだろうか。しかし、その幻想的世界は、幻想性を含みつつもしっかりとした意識の中で創り出されているのである。

 フィニの作品上で、男女が互いに向き合う作品が見られない。何かと向き合うということはそのものとの対立ないし協調なのであって、フィニの考える中性的な存在性とはかけ離れてしまう。彼女はその女と男を隔てて考え出すこと自体を取り消し、その二つの融合を図ろうとしたと考える。物質的に存在するものの融合ではなく、男女が生きる上での社会的に機能する中で生まれ出た創造や労働、教育や権力の保持など、男女どちらかに配分されるシンボリックな属物をどちらにも与えることを目指したのだと思える。12歳から死体安置所を訪れていたフィニは、死の世界が広がっている。しかし、そこには新たな正の面影が現れているのである。生きるものは死すことにより無とかし、またこの世界に生まれ来る。死は何者にも訪れる平等の権利であって、そこには何も隔てるものはない。死が与える腐敗は女でも男でもなく、ただの「死」なのである。

 シュルレアリスム運動の輪から次第に離れていったフィニであったが、彼女の芸術的思想などは、シュルレアリスムを基盤としての彼女自身の自由で個性的な創作であって他のシュルレアリスト達と共有する部分が多かった。しかし彼女の奔放な性格はその命を失うまでシュルレアリストというカテゴリーに入ることを拒み続けた。それは彼女がどこにも自分を止めておきたがらない気まぐれな猫だからだと思う。フィニは自分が自分であることを楽しみ、猫の目のようにさまざまに自分を変容させる。瞳に映し出される魅惑のサインに目を奪われ、神秘的で破壊的な張り詰めた緊張感が見る者を取り囲む。空間は重みを有しているかのようだが、決して誰も縛ることをしない。それは彼女自身が一番に自由だからだ。自由を得ているものは他者を縛ったりはしない。だからこそフィニは我々に真の中性的動物を描き示すことができたのだ。



《参考文献》
レオノ-ル・フィニ-の仮面 / A.P.ド・マンディアルグ[] ; 生田耕作訳. -- 奢覇都館, 1993.
フィニ / フィニ []. -- 講談社, 1993.
シュルレアリスムと性 / グザヴィエル・ゴーチエ著 ; 三好郁朗訳. -- 平凡社, 2005.8.
ダダ・シュルレアリスムの時代 / 塚原史著. -- 筑摩書房, 2003.9. -- (ちくま学芸文庫).
Leonor Fini. -- Galerie Dionne, 1997.

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