2014年12月25日木曜日

溝口健二 『祇園の姉妹』


 堕落した木綿問屋の主人、古澤を慕いお世話をする梅吉。客としての男に対して特別な感情を抱くことを卑下するおもちゃとは正反対である。19歳の山田五十鈴演じるおもちゃは、そのお人形のような可愛さと成熟したような大人の女性のしなやかな動きで男達を魅了させていく。劇中に登場する女を買う男たちの外見が均一化されて、皆が同じような服装と顔つきをし「商品を買う男」としての存在がおもちゃたちを取り囲んでいる。おもちゃは商品としての自分を理解し、そんな男たちに自分を売り込む。梅吉のように決して心まで売らず、逆に男を手玉に取って支配しようとする。

 しかし結局は男たちに翻弄され、上手いように身動きが取れずに保吉に乗せられた車の中で、これ又均一化された「商品を買う男」が登場し、「女は男言うとおりにすればいい」と、男が女たちに抱く本音をおもちゃに言い放つのだ。

 人間というものは頭で現実を理解していても、それを目の前に急に提示されるとショックを受けてしまうことがある。商品としての女の自分を知っていたし、知った上で自分を売り込んでいた。けれども男の冷酷な言葉は、心に深い傷をつけた。男なんて所詮女に現を抜かす生き物と思っていたおもちゃも、そこまで人間を見限れる年齢に達していない。だからこそ男の優しさに漬け込み、媚ることができた。しかし無意識に信じていた男の優しさという部分を、冷酷な言葉によってざっくりと切り落とされてしまい、自分が所詮この男たちに買われる物なのだということを確認してしまうのだ。

 年端も行かぬ女の子が、どうにかして道を切り開こうとする。苦しい状況の中で、更に苦しい現実を突きつけられるおもちゃは、反発するように車を飛び降りる。ベッドの上で涙を流しながら「こんな仕事なかったいいのに」と叫ぶ。行き場のない感情が空をみつめる目線と重なる。本当はしたくはない、けれどもしなくてはいけない。相反した感情がおもちゃを締め付け、その感情の矛先はどこにもいくことができず、やはり空を漂うように終わってしまう。

 男に心も身も捧げても裏切られ、自己の商品価値を知り売買を推し進めても切り捨てられる。社会の必要性の中に溶け込もうとしても浮き出てしまう芸妓の世界で生きるおもちゃの悲痛な涙が、身動きが取れないおもちゃの救いを求める手のように感じた。



監督・原著:溝口健二
出演
山田五十鈴、梅村蓉子

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