2014年2月21日金曜日

谷崎潤一郎 『刺青』


 美しい者が、他のあらゆるものを包括し、その存在を誇示していた時代の清吉の娘への欲望が、内面から注ぎ込む魂の念によって官能的に描かれている。美は美 として何にも脅かされることはなく、そしてその美に取り憑かれたように己の命を塞ぎ込もうとする清吉の姿は、彼という者の手によって一人の娘が血を帯び、 苦しみの声を上げて男を快楽という地獄に落とし入れるような女に変えることに、深く息を潜んでいた喜びを表す。娘が真の「己」を絵に見たように、清吉も娘 の刺青を身にまとった姿に「己」の心の真髄を見たのだろう。

 
『「愚」と云う貴い徳』とは、ある種の濁りない、例えば刺青を着たこの娘のように、自分自身が持つことを許された刺青と己が放つ美を、何によっても駆逐さ れることなく留まり、流動することがないと信じる心なのではないだろうか。そして、清吉は自分の芸術的刺青は大きな美を生むことができると信じていた。こ ういた人々の恍惚なる徳を、今では「愚」として捉えられてしまうようなものを、谷崎は奇妙にも美しく、色鮮やかに描き、針が肉に痛みを与えて描くように、 この作品にも同じような痛みを与えるような「美」をもたせたのだと思う。その時代の人々が持つ意識の形態を刺青師と一人の女を通して描いたのだと感じた。

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