2014年2月20日木曜日

上田秋成 雨月物語 『菊花の契』


  今までずっと考えていた。契りを交わすということは、命をかけてするものなのかと。
命というのは一体、宗右衛門のどこについていたのだろうか。契りによって、人はその人に何を預け、何を己に負うのだろうかと。

  
左門と宗右衛門の兄弟の契りによって、二人には特別な何かが生まれたのか。 それは他の何者によっても淘汰されるものでなく、取り除けるものではなくて、必然的に生まれるもの。
負うとか、そういう次元を超えて存在するのだ。 だから宗右衛門にとって命を断つということは、例えそれがいつ枯れるか分からない儚い菊花のような契であっても、それを守るものとして存在している以上、宗右衛門は本能のままに、約束を果たしたのだ。霊となって、左門に会いに来たのだ。

 
信義と不義、人によってこれ程までに悲しき契りとなってしまうのか。 どんなに願っても、宗右衛門は帰ってくることはなく、裏切られた宗右衛門の魂も、菊花の美しさを感じることなく消えてしまうのだ。取り返しのつかない出来事は、世の中にあふれんばかりに存在する。 そして、それらは宗右衛門の魂のように、左門の悲しみのように、もう元の場所には戻ってこられないのだ。

 
あぁ、軽薄な人間とは交わりを結ぶべきではない。

 
左門と宗右衛門の交わりは悲しき色を帯びながらも、永遠に今もなお枯れないでいる。 しかし、軽薄な人間との交わりは、秋成に、ただ、ただ、『あぁ』と嘆きをあげさせるものでしかないのである。

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