2014年2月20日木曜日

上田秋成 雨月物語 『蛇性の婬』



私ははじめ、この蛇が不憫でならないと思った。性の淫らな妖怪であるということは理解できる。しかし、一人の女性としてこの蛇の気持を汲み取ると、その 真っ直ぐな想いが猶、哀れに感じて仕方がない。蛇は豊雄と出会った頃から決して心を変えることはなかったのに反して、竹助は契りを交わしたのにも関わらず 心を変えてしまった。確かに、妖怪を愛するということはありえない話だと思うが、一度は愛した女なのだから、どこかにその愛情の破片が残るものではないの だろうか。富子と初めて暮らす日に、蛇が竹助を想い慕ったことをちらちらと思い出してはいるが、あまり気に留めていない様子であった。

 
しかし、私は思い返る。こういうものが、人が長い間繰り返してきた情の一つなのだと。二つある感情は決して交わることはなく、どこかでそれてしまったり、 切れてしまったりする。蛇が感じていた情は、人間の女が抱く情と同じかどうかは分からないが、どんなに強く思っても、相手が受け止めてくれなければ、その 気持は届くことがなく、ただ妖怪の執念としか人々に捉えられることがない。相手を心から想うなら、どんなに自分の気持ちが強くとも、それを畳んでそっと胸 にしまっておかなければならないときもある。蛇は竹助を想うばかり、自分の想いに逆に捕らわれてしまったのだ。
 
 
「豊雄は命恙なしとなんかんかたりつたへける」という一文で終わるのだが、どうしてこれを語り伝えたのだろうと考える。蛇は恐ろしい言葉をあびせ、豊雄を 苦しめた。苦しめたが、私はこの蛇の健気な姿にも想い移る。けれども、最後のこの一文で、豊雄の命は助かったということが、この物語を安定の地に置いてい る。蛇を、真女児を、自分の手で殺したしまった豊雄が無事であたったということが、そうしてしまった、そうするしかなかった豊雄自身を救っているように感 じる。そして、読んでいる私達をも、この文は救っているように感じる。もしかしたら、豊雄は蛇に呪い殺されているかもしれないし、蛇との契りを守ったかも しれない。しかし、そうなると私達の心はたちまち崩れ落ち、不安な想いに捕らわれてしまうだろう。
 
 
蛇が抱いた気持ちも、豊雄の想いも、二つ並べて丸くおさめることはできない。それだけ、「想う」ということは難しいことだ。豊雄の命が助かったということ。それはこの蛇と豊雄が交わしたであろう情のやりとりの、悲しくも終わりの形なのだと思う。

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