2015年1月23日金曜日

ケーテ・コルヴィッツ 描かれるリアリズム


  19世紀以前の宗教画はプロテスタント的主題に即して、ある宗教的イメージを視覚上で示した上でメッセージを伝えた。イエス・キリストならばその姿を明確に現し、聖書に基づいた物語を描き示した。そこには信仰に対しても聖書に対しても一切のゆがみや曇りも生じさないプロテスタント性が存在していた。

 ケーテ・コルヴィッツはドイツの版画家である。1897年に制作された『死』では壁にぐったりと持たれこむ男性に死神が手を差し伸べている。男は死神に気がつかずに生気を失っているようだ。アルブレヒト・デューラーの三大銅版画の一つである『騎士と死神と悪魔』にも死神が描かれているが、死神の手に騎士の残りの生命を測る砂時計を持っている。死神のアトリビュートとして鎌や砂時計があるが、この『死』にはそういった属物が描かれていない。死神はただ手を触れるだけでいい。鎌で命を切り落とす必要などない。そうするだけで後は精神からの悲鳴と肉体の困窮がその人間を両面から崩れさせる。

 『死』に描かれる死神は狭い家の暗闇にいつも潜み隠れて人間が命を落とすのを待っている。それは物語の中での死神ではなく、いつも、どこでも、お前のすぐ傍にいる死神なのだ。その死神と共有する暗闇の中でも少年は目を見開き、受け止め生きていかなければいけないという現実がある。人間の苦しみからは逃げられない。悲惨な出来事は願わなくとも毎日やってくる。子は親にすがり、親は子を想い両手で包み守る。それでも生活の苦しさからは逃れることはできない。けれども生きていかなくてはいかない。逃げられない貧困を脅えを涙を死を、ケーテは物語性の中に覆い隠したりはしなかった。薄めることなく労働者たちの生きて産まれる悲鳴をそのまま映し出した。宗教的物語性の中に人間の信仰を現そうとするのではなく、物語性の不在の中に、目には見えなくとも信仰心は描かれた彼らの心に存在する。ケーテはその白黒の世界に現実世界の苦しみを曇りなく描いた。信仰を持つ人間が抱える、行き場のない感情を強く描き出す事。それが19世紀のプロテスタント宗教画の「近代性」であると思う。 
ケーテ・コルヴィッツ 『子供を抱く母』
 
アルブレヒト・デューラー 『騎士と死神と悪魔』

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